ローリングストーン誌が選んだ ROCKの名盤BEST500
しかし、旗手であったセックス・ピストルズの解散以後、急速にパンクロック・シーンは衰退、わずか数年ほどの短期間でこのムーブメントは終わることになる。その後、パンク・ロック・ムーブメントの渦中にいたミュージシャンたちは、トーキング・ヘッズ、ディーヴォ、パブリック・イメージ・リミテッド等のニューウェーブ、キリング・ジョークやジョイ・ディヴィジョンに代表されるポスト・パンク、より強力なイデオロギーと過激な音楽形態を追求したハードコア・パンク等へと音楽性をそれぞれ変化させ、1980年代に大きく活躍することとなる。また、アメリカにわたったパンクロックはノーウェーブやジャンクなどのより先鋭的なサウンドを生み出し、オルタナティヴ・ロックの基礎を作り上げていった。 |
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グレッグ・ローリーに代わり、新たなキーボードとしてジョナサン・ケインが加わり、全米で驚異のヒットを記録したジャーニー・サウンドの頂点を極めた傑作アルバム。映画『海猿』主題歌「オープン・アームズ」収録。 |
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◆フリーズ フレイム |
◆J. Geils Band |
1981年 |
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1981年発表のアルバム「フリーズ・フレイム」からシングルカットされた「堕ちた天使(Centerfold)」は印象的なイントロのフレーズとセクシーなミュージックビデオが話題となり、6週間に渡って全米1位を記録する大ヒットとなった。
しかしこの成功を機に1983年にウルフがソロ活動のため脱退、バンドは1985年に活動を停止した。 |
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◆夜の囁き(Face Value) |
◆フィルコリンズ |
1981年 |
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不滅のスーパー・グループ“ジェネシス”の最後の切り札、フィル・コリンズによる、世界中でベスト・セラーとなった初のソロ・アルバム。 |
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ファースト・アルバム詠時感~時へのロマンはチャートのトップ30に食い込み、数ヶ月後には全米NO.1を8週連続キープ、全世界で1500万枚のセールスを達成する快挙を成し遂げた。元イエスのスティーヴ・ハウ,ジェフリー・ダウンズ,元EL&Pのカール・パーマー,キング・クリムゾンやUKで活躍したジョン・ウェットという強力4人組。 |
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ブギーにテクノを取り入れ、そこにテキサス・ブルースとアメリカン・ロックを融合。パワフルで分かり易すい ZZ TOPサウンドが完成。全世界850万枚のセールス、135週チャートイン。パワフル・ドライビング・アルバムでもあります。 聴きどころ満載。 |
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◆炎のターゲット |
◆DEF LEPPARD |
1983年 |
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世界的規模で大成功を収めたデフ・レパード改心の3rdアルバム!2作目と同様マット・ランジをプロデューサーに、更にフィル・コリン(元ガール)もギターに迎え、最強のチームで制作。「Photograph」のキャッチーさ、「Stagefright」の迫りくる熱気、「Die
Hard The Hunter」のコーラス・ワークと印象的なリフ。どれを取っても一級品!隙が無い、素晴らしい仕事に感服します。 |
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◆シーズ・ソー・アンユージュアル |
◆シンディーローパー |
1983年 |
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MTV全盛の83年、強烈なビデオクリップとキャッチーなヒット・ナンバーで、デビュー以来全米トップ5ヒットを4連発し、女性シンガーとして前人未踏の記録を生んだ大作。
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◆ボーン イン ザ U.S.A. |
◆ブルース・スプリングスティーン |
1984年 |
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全米1位記録。80年代のアメリカで最も売れたロック・アルバム。『ネブラスカ』の続編に位置する内容ながらも、ベトナム帰還兵の苦悩をパワフルに力強く歌った辛辣なタイトル曲が国粋主義者の誤解を招く。7枚のカット・シングルすべてが大ヒット。翌年のグラミー賞で最優秀ロック・ヴォーカリスト賞受賞。 |
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プロデューサーにボブ・クリアマウンテンを迎え、全米チャートNO.1を獲得した大ヒット・アルバム!ヒット曲「ヘヴン」を収録したロック名盤! |
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◆Like A Virgin |
◆マドンナ |
1984年 |
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マドンナがミュージック・シーンの頂点へと駆け上がった代表作ともいえる2ndアルバム。「ライク・ア・ヴァージン」「マテリアル・ガール」ほかボーナス・トラック収録。 |
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◆Eyes of Innocence |
◆マイアミサウンドマシーン |
1984年 |
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ドクター・ビートがヒットした。マイアミといってもメンバーがラテン系のため,英語圏で評判をとったのは84年のこと。やはり全世界的にヒットさせるためにはアバの例もあるとおり英語で歌わねば…。彼らのラテン・ポップは日本でも必ずや受け入れられることは間違いなさそう。 |
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この「レジェンド+2
」はレゲエの神、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのベスト・アルバム。ロックに多大な影響を与えた「アイ・ショット・ザ・シェリフ」や女性にも人気の高い「イズ・ディス・ラヴ」など、楽曲の幅広さに驚かされる充実の1枚。
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こうした時代を象徴するのが、シンガーソングライター、スワンプ・ロック、サザン・ロックといった動きである。シンガーソングライターというのは本来、自作自演の歌手という意味だが、ここではパーソナルな心情をアコースティック・ギターを中心とする控え目なサウンドに乗せて歌う人たちを指す。ジェームス・テイラーやキャロル・キングがこのムーヴメントの中心である。1960年代のロックの社会変革的な思想に疲れた人々の耳を、彼らのサウンドは優しく癒したのである。
スワンプ・ロックとサザン・ロックは、カントリー・ロックと同様、土の香りへの回帰を意図するサウンドである。この動きもまた、それまでのひたすら革新を求める動きとは異なり、聴き手に安らぎを与えるものとして機能した。スワンプ・ロックはロサンゼルスで活動するデラニー&ボニーやレオン・ラッセルを中心とした動きだが、イギリスのジョージ・ハリスンやエリック・クラプトンも同傾向のサウンドへと向かった。サザン・ロックもサウンドの傾向は近いが、アメリカ南部を活動拠点とするオールマン・ブラザーズ・バンドやレイナード・スキナードの音楽を特にこう呼ぶ。
一方で1960年代後半に誕生したカントリー・ロック、ハード・ロック、プログレッシブ・ロックといった動きはこの時期にも盛んで、1960年代の思想的背景を失ったことにより、むしろ商業音楽としての自由度を確保したとも言える。また、この時期にはロックの持つある種の過激さを極度に薄めて、むしろポップスと呼んだ方が適切とも言えるカーペンターズやブレッドが登場し、ロックの裾野を広げた。
1970年代前半、イギリスではファッションと演劇性を重視したT・レックス、デヴィッド・ボウイらのグラム・ロックが人気を集めた。
また1974年から1977年、ティーンエージャーのアイドルとしてベイ・シティ・ローラーズが第二のビートルズと呼ばれるほどの人気を得た。ロックはポピュラー音楽の中心としての地位を確実なものにしていった。 |
パンク・ロック
ムーブメント |
(1976年-1981年) |
1970年代前半は、複雑で大作主義のプログレッシブ・ロックに代表される、“凝った”ロックに支配されていた。それに対して「ロックは死んだ」として反旗を翻したロック・スタイルが、1970年代パンク・ロックだった。
ブロンディやパティ・スミス、ラモーンズなどによりニューヨークで誕生したパンク・ロック(いわゆるニューヨーク・パンク)は、ラモーンズのロンドン公演などを機にロンドンでブレイクし、ストラングラーズやセックス・ピストルズなどによりロンドン・パンクが興隆、大きな社会現象となる。当時のロンドン・パンクは、ロックンロールの原点に戻った、テクニックを気にしない「衝動」と「勢い」の攻撃的な演奏、権力や体制に反抗的な態度により、不満を抱えた労働者階級の若者たちの間で熱狂的に支持されていった。また、短くカットした髪を逆立たせ服を破いたそのスタイルも、パンク・ファッションとして当時の若者の間でブームとなる。 |
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